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最期の宴/アボリジニの死に方

より良い死に方

十二世紀に短歌や俳句を詠んでいた日本
古事記に秘儀を隠した日本
その巧みな力は天から授かった世界の始まりたる証

十二世紀に短歌や俳句を詠んでいた日本
古事記に秘儀を隠した日本
その巧みな力は天から授かった世界の始まりたる証

世界に
類をみない
日本の語学力

日本人の語学力は世界で類をみないレベルです。江戸時代はいたるところに寺子屋があり、老若男女全ての人が読み書きを教わり、子供たちでさえ常に墨と筆と紙を持ち歩いていました。戦後GHQが日本語を廃止しようとしましたが、ある言語学者が「日本語を廃止してもローマ字を知っているから無駄だ」と反論したそうです。そしてGHQが一斉にテストをしたところ、殆どの人がローマ字を習得していたためGHQは日本語の廃止を諦めたという経緯がありました。

 日本には“言挙げせず”という教えがあります。華道、茶道、舞踊、武道…、日本文化は言葉に表さないことに価値を見出す文化です。俳句や和歌では、心情を四季に喩えて数少ない言葉で表現し、すべてを言い尽くさない。そこから真意を読み取る、行間を読む、察します。鎌倉時代や平安時代の頃にそれほど崇高な語学力を持つ国はありません。また他の文化芸能においても、見て学ぶ、あるいは長い時間をかけて口伝によって継承されてきました。

 日本人が英語を学ぶより、外国人が日本語を学ぶ方がずっとずっと難しいと言われています。一つのひらがなに対して無数の漢字があり、漢字各々に訓読み音読みがあります。またひらがなで数字を表すことも可能です。五十音一つ一つにさまざまな意味合いがあるため難解なのです。このことから日本の文章表現には“含ませる”という特徴があります。

古事記の
神の名に
隠された秘儀

 私たちはいつから全てを言葉にしなければ通じ合えないようになったのでしょうね。昔の日本人は「愛してる」と言ってもらわずとも、自分に愛が向けられているかそうでないか感じ取ることができました。「ありがとう」と言わずとも感謝を伝えることができました。言葉は自己表現であるように、他との違いを明確にして二極化する側面を持っています。その結果、人間関係で悩み苦しみ、自分自身と葛藤しているのではないでしょうか?

 言霊<げんれい>は通常知られている<ことだま>とは違いがあります。言葉そのもののエネルギーではなく、言葉を発する自分本体からエネルギーが発せられると教えています。言葉自体は荒魂(あらみたま:破壊し新たに作り直す)にも和魂(にぎみたま:安らぎをもたらす)にも、どちらの働きもします。アファメーションの効果が出にくいのは、想念を抱えている自分自身が発していることに原因があります。よって言霊学は穢れを祓い「空(くう)」の状態で発するとを基本としています。

 言霊学は天皇のための学びとして数千年前から継承されてきました。その秘儀は稗田阿礼によって古事記に納められ、「古事記を解くものは死す」といわれるほど貴重なものでした。開国時には、諸外国の支配者に言霊が悪用されるのを恐れ、明治初期に皇室が封印しました。ですが昨今の日本の現状に加え、戦後70年経ったことから、その秘儀が公開され始めました。「言葉が世界をつくる」というのは今も昔も変わりません。そのため諸外国は日本を鎮圧する必要がありました。世界の言葉の始まりは「日本語の五十音」だったからです。