2018.4.22
「命の再定義トークライブ」を開催しました。
経験22年で数百件の命の誕生に携わってきた助産師と
経験22年で数百件の命の終わりに携わってきた看護師が
それぞれの経験や思いを語るトークライブです。
大阪市平野区喜連瓜破にある宝円寺。
400年の歴史あるお寺に檀家さんを含め
大勢の方がお集まりくださいました。
心までも暖かくなるような晴天に恵まれ、
お堂の中がひんやりしていて心地よかったです。
私たちがこの会をしようと思った理由は…
「生まれることの意味」と「死ぬことの意味」を知り
「生きること」について考える機会を持っていただきたいと思ったから。
過剰な延命治療を目の当たりにしてきた私たちが語らずして
予防はできない、と思ったからです。
命に答えなどなく、その人が思ったことが答えです。
その答えをより意識の高いものにするために
専門職の知識や経験を役立てていただけたらと思いました。
そして終了後、個別でたくさんご感想をいただきました。
・父親や肉親を亡くしても泣けなかった理由がわかりました。
・思い切り楽しんで生き切りたいと思いました!
・悲しくても怖くても嬉しくても、常に明るく振る舞ってしまう癖がついている自分に気づきました。
・大切なのは「どれだけ生きたかではなく、それだけ込めたか」だと感じる貴重な機会でした。
・このままでいいのだろうか?と自問自答していましたが、今日のお話を聞いて自分のこだわりが溶けた様に感じました。
死生観のお話は、人生の出発点と着地点。
両端の意味付けがほんの少し変わることにより、中間の「生きること」の意味が変わります。
過去のわだかまりや未来の不安など、絡まっていた糸が解けていくような感覚を抱いた人が多かったようです。
人生と健康・病気は比例しています。
病気は外から与えられるわけではなく、自分の中で発生するもの。
何年、何十年と時間をかけて、過去の自分がつくった形跡です。
だからどうか「悪」と思わないでほしい。
自分自身との付き合い方を変えれば、絡まった糸が解けるように寛解する病気がほとんどなのです。
ご住職からもお話いただきました。
今、延命治療をするかしないか、看取りの定義、終活など、人生の最期をどうするかについて意見が錯綜しています。
少し前に京都市が市民に対し、自主的に延命治療をどうするか決めるよう投げかけがありましたね。
市民や各団体から反発の声があがっていました。
なぜなら一般の方々にとって、医療はあまりにもわからなすぎるからです。
何を以って決めればいいか、情報が少なすぎて決められないのは当然だと思います。
大切な命のこと。
命は自分だけのものではなく、家族や周りの大切な人たちのものでもあります。
私たちがお役に立てることがもっとあると思いました。
そして第2回を開催することに決めました。
ご参加くださった皆さま、ありがとうございました^^