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穏やかに逝くために心得ておきたいこと5つ

より良い死に方

 

最期はラクに逝きたいー、誰もが願みます。ですが難しい現実があります。現場を知る看護師の話に耳を傾けていただけたら幸いです。

1.本格的に医療が始まったのは戦後

明治に入り西洋医学が日本に流入してきたとき、たった一粒でさっきまでの痛みが嘘のように消えてしまう薬を、日本人は魔法のようだと思ったそうです。それまで日本は鎖国しており、医学として行われていたのは日常生活の中で行なう療養と漢方薬程度でした。日本人は太陰太陽暦で生活していたため、自然の循環の中に在るという思想のもと、さほど治療を必要としていなかったのではと思います。

本格的に病院ができたのは戦後になってから。日本は戦争で多くの命を失くしましたが、その悲しみ、恐怖、不安などの一切を一旦横に置いて、立ち上がらねばならない状況は想像を超える過酷な状況だったと思います。命の誕生を祝い、また命を救うことは何より大切だったことに違いはありません。政府は西洋医学を取り入れるとともに急速に医師・看護師・助産師を増やし、生命の安全を保証する健康保険制度によって現在の医療制度が出来上がりました。

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2.医療の目的は命を救うこと

前代未聞の原爆を2つも落とされた小さな島国の日本は、復興までに100年はかかると言われていました。そんな日本において命を救うことは必須だったと思われます。よって医療は必然的に救命救急が発展し、日本人の緻密な技術の向上によって、多くの不可能を可能にしていきました。そして医療は全身全霊で命を救うことを使命とし、メディアの報道もあって「どんな命も諦めないー」という印象が濃くなっていきました。

ですが昨今、超高齢化した日本では、命を救うことが必ずしもその人やご家族の幸せにつながらないことがあります。救命救急の現場では、医師や看護師に戸惑いが起こっています。たとえば80代、90代で意識不明となった方に、電気ショック、心臓マッサージ、劇薬投与、人工呼吸器、など過酷な状況をさせてまで救命することを、本当にその方が望まれているのかどうか。救命したとして、元の生活に戻る確率は低く、その後の生活を案じれば救命に意味があるのかどうかー。しかしながら家族から意思表示がなければ、救命せざるを得ないというのが医療の実情です。

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3.死に抗う文化ができている

こうして日本の医療は救命、手術、薬剤などにより多くの命を救って来ました。それ自体は素晴らしいことですが、私たちはこう思うのです。医療が懸命に命を救えば救うほど、「死ぬのは良くない」「死ぬのが恐い」という認識が深まっていくー。戦後を生きた方々はとくに、大切な人を失くした悲しみや苦しみを横に置いて社会のために尽くして来られた方々なので、死に対する恐怖心が根っこにあると思います。それに加えて不可能を可能にする医療があるがために、自ずと死に抗う文化になっているのでは…と感じています。

人生の最期に後悔することは何かー。という話をご存じの方も多いと思います。人は、やって失敗したことよりも「やりたいなぁと思ったのにやらなかったこと」が最期に残るそうですね。戦後を生きた年代の殆どの方々は、自分のやりたいことも家族も犠牲にして社会のために尽くして来られたと言えるのではないでしょうか。もちろん、そのおかげで便利で恵まれた今の生活があります。ですがその年代の方々は、もしかすると自分の人生を生きた気がしない…という感覚があるかもしれません。とすれば、心のどこかに“まだ死ねない”という思いがあるかもしれません。

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4.病院ではなかなかラクに死ねない

看護師を25年してきた私自身の印象です。一般論になるかもしれません。私は『人は誰しも、最期の試練を超えなければ死ねない』と思っていました。病院ではそれほど過酷な死に際をたくさん見てきました。最後の最後には意識を失いますが、それまでの経過は決して安らかとは言い難いです。最後まで治療し続ける患者さんを看ていると、私たち医療者は本当にこれで合っているのだろうか?本当にこの人を救っているのだろうか?と何度も考えさせられました。

医療は対症療法であることから、どこか悪いところが見つかれば、また患者さんが何か一つ訴えれば、何らかの施しをします。ですが薬にしろ検査にしろ手術にしろ、プラスの作用があれば必ずマイナスの作用もあります。手を加えれば加えるほど体が受けるダメージが大きくなっていきますが、医療は諦めることなく全身全霊で最期の最期まで手を尽くします。もしかしたら何もしなければもっとラクに逝けたかもしれない…、そう思わずにいられない光景が、ほとんどの病院で日々繰り広げられています。

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5.最期の決定権は家族にある

できれば最期になって周囲に迷惑をかけたくない…と誰もが思いますが、「死」の前には遅かれ早かれ意識を失うという内容を書きました。

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自分自身が意識を失うということは、最期の決定権は家族にあります。たとえ自分自身が“こうしたい”という希望を書き残していたとしても、医師は最終的な確認を家族に行います。本人だけではなく、家族も同意でなければならないのです。よってこうした事態になる前から、家族と合わせておく必要があります。一刻を争う救急外来では、ご家族に「どうしますか?!延命治療しますか、しませんか?!」と迫らねばならないことが少なくなく、医師や看護師もとても辛いのです。

もし、そういった準備を何もしていなかった、家族も死について考えたことがなかったらどうなるでしょう?ありがちなのは「先生に全部お任せします!よろしくお願いします!」です。となれば前述したように、医療の目的は命を救うことですので、自ずと延命治療に入ります。患者さんご本人の病状や生命力にも寄りますが、もしかすると、意識のないまま長い長い時間を過ごすことになるかもしれません。

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さいごに

延命治療を行わない場合は、ご自身の意志を家族に伝えて同意してもらっておく必要があることがおわかりいただけたと思います。然しながら想像したくないことを、医療的な知識がないまま事前に話し合うというのは、なかなか厳しいと思います。あらゆる医療的処置が延命になるため、これを行えばその先はこうなる…という予測ができるような、マインドマップのような指標があればいいのではと考えています。

 

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