寝たきりのパートナーと障害児を持つダブルケアママの涙
当法人では、認知心理学を介護や病気の予防、心のケアに応用しています。2017年から『心から看る介護と認知症』というお話会を行ってきて、今まで400名くらいの方にご参加いただきました。
今回は介護相談・健康相談のブースでご相談を受けたときの内容です。親の介護で参ってしまっている、ダブルケアをしている、トリプルケアをしている、なんで私がこんな目に遭うのかわからない…という状況の方に読んでいただきたい内容です。
寝たきりのパートナーと障害児を持つダブルケアママの涙
1.障害児の子供
相談ブースのそばを子供が乗ったカートを押しながら、相談してみようかな、どうしようかな…という雰囲気で通り過ぎようとしている、40代くらいの女性がいました。カートには5歳くらいの男の子が乗っていました。私はちょっと声をかけてみました。「もし介護をされてるんでしたらストレスチェックをしてみませんか?」と。
すると女性は椅子に座り、いろいろ質問をして点数化していくと、かなり重症のストレス状態であることがわかりました。そこで「お話をお伺いしましょうか?」と尋ねてみました。
そして私はカートに乗っている子供の様子を見ましたが、すぐに発達遅滞の子供さんだなぁということがわかりました。私も重症心身障害児のところで6年間働いていたことがあるので、様子を見ればだいたい重症度がわかります。きっと大変だろうなぁと思いました。
2.脊椎間狭窄症のパートナー
ところが、介護は子供だけではなく、旦那さんの介護もされているということでした。いや、まだ若いはずなのに何故?と思いましたが、脊椎間狭窄症という脊髄の病気になって、ほぼ寝たきりであるということを話してくださいました。
旦那さんがそうした状態になったのは子供を産んだ後ということで、おそらく3~4年前になったようでした。「仕事はどうしてるんですか?」と尋ねると「私が働いています」と。「パートですか?それとも正職員ですか?」と尋ねると「正社員です。営業の仕事です」とおっしゃっていました。
正直言うと、どうみても営業の仕事をしている女性には見えませんでした。化粧っ気がなく、もう疲れ切っているという印象でした。旦那さんはトイレに行くこともできず、排泄の感覚がないため常にオムツを使用している状態で、手足が動かないため食事もすべて介助が必要という状態のようでした。
3.辛い経験をしている意味
私はその話を聞いて(いったい私に何が言えるだろう…?)と思いました。わずかでもその人の気持ちがラクになって、明日からも、これからも介護が続けられる、そうなるために私に何が言えるだろう?と。5分や10分で大したことが話せるわけではありません。ですが口が勝手に動いていました。
その内容はこうでした。「そうですか。あなたはきっと、そういう星の下に生まれて来たんです。何らかの役割を背負ってこの世に生まれて来ているんですよ」と。女性は少しびっくりしたような表情をしていました。
世間を見ると(私もこういう幸せが欲しかったのに…)と思うかもしれませんが、でもたぶんそうではなくて、私はこの人生でこういう経験をして、こういう成長をするんだということを、私たちは決めて生まれてきています。そしてちゃんとその道にたどり着いているということなんですね。
4.3つの課題
ただ、じゃあそのままでいいかというとそうではなくて、課題があります。私は課題を3つ伝えました。
①自分と自分以外との間に境界線を引くこと
ここまでは自分、ここからは自分ではないということを、一つ一つ見極めていくこと。それは、自分の人生の責任者は自分であるということについて考えていくことを意味します。
②自分と自分以外とのバランスをとる
これはその状況によって刻々と変化するもので、その時々においてちょうどいいバランスがあります。難しいかもしれませんが、でもそれを頭に置いておかなければ、私たちは過剰に責任を持ち、すべて抱え込んでしまうのです。自分がやらなきゃと思ってしまうんですね。
自分がやりたいことに使う時間も必要です。私たちは自分の人生を生きているのだから。自分自身を守るセルフケアの時間も必要です。それをしなければ私たちは自分の人生を見失ってしまい、生きている目的を失ってしまうと非常に脆くなるからです。自分の人生を守らねばなりません。
③周りに助けを求めること
どうにもならなくなったときは、周囲に「助けて」と言うことです。今、現代人のほとんどは(自分でなんとかしなきゃ)と思っています。この厳しい時代、みんなが苦労しているからこそそう思ってしまうのですが、それでは私たちは成長しないんですね。
5.助けを求めることの大切さ
どうにもならなくなったときは「もう無理、誰か助けて」と、自分から手を挙げること。自分から声を挙げることが大切なのです。2人や3人に話したところで、誰も振り向いてくれないかもしれません。ですが10人に話せば、必ず誰か助けてくれます。これは絶対です。私の経験側でそう言えます。
私もこれまでどうにもならなかったことが数々ありました。そのたびに、本気で自分の枠を取っ払って助けを求めました。だってもう死ぬかもしれないから。そうして誰かに助けてと言えば、かなりの確率で助けてくれる人はいます。ですが自分が声を挙げなければ、誰もあなたが苦しんでいることに気づかないんですね。なぜならみんな自分のことで必死だからです。
そして、そうして誰かに助けてもらって、誰かの力を借りて、私は自分一人の力で生きているわけじゃないんだ、他の人の存在があって自分は成立しているんだということに気づいていくー。
6.『愛』を取り戻す道のり
そうした経験をすることで、私たちは『愛』を学んでいきます。自分はこの世界で生かされているということを経験して、また自分も誰かの力になることができるようになります。現代人は自分だけで何とかしようと思い込んでいるから、過剰に責任を負い、愛に触れることができず、愛を知らないまま生きているのです。
私たちが今、どうにもならない介護を多くの人が抱えてしまっているのは『愛』を取り戻すためです。介護を受けている人はどうにもならないですよね?動いてほしくても動かない体、言葉が通じない認知症…。
つまりそういう状況に自分自身を置いて、どうにもならなくなったときに人の力を借りて、愛を取り戻す。そのためにこれほど多くの人たちが、介護に関わっているのではないでしょうか。
真の癒やしとは?
女性はコクリコクリとうなずきながら、ポロポロッと涙をこぼされました。そして「わかりました。苦しくなったら、どうにもならなくなったら、誰かに助けてって言っていいんですね」「少し気がラクになりました」とおっしゃっていました。
私たちは苦しいときに目的が見えないままだと、闇に落ちてしまいそうになります。ですが何のためにこの経験をしているのか?その目的が見えたとき、納得できるようになります。私はそれが”真の癒やし”だと思うのですが、どう思われるでしょうか。
おわりに
世界で最初に超高齢化を迎える日本。他の先進国もいずれ日本の後を追うことになるため、日本がいったいどのようにこの難局を切り抜けるのか?静かに見守っています。その、先頭を行く私たち日本人が愛を取り戻すこと、それがいずれ地球規模の愛に拡がっていくのかもしれません。私は日本がそうした役割を背負っているような気がしてなりません。
最後までご覧くださりありがとうございました。


