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その昔、日本は世界一幸せな「子どもの国」だった

外国から日本に訪れた著名人が、日本について語っていることが数多くあります。
そこには諸外国から理解不能な、いえ、今の日本人にとっても信じられない光景があります。

日本は世界一幸福な「子どもの国」

たとえば明治初めに三度にわたって来日したアメリカの教授、エドワード・モースは『Japan Day by Day』という本に、日本での体験談を書いています。
■世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福である。
■外国人の筆者が一人残らず一致することがある。それは日本が「子どもたちの天国だ」ということである。
■世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。汝の父と母を敬愛せよ、これは日本人に深くしみ込んだ特性である。

また、明治時代に日本を訪れたチャールズ・A・ロングフェロー、旅行家イザベラ・バードも日本の光景を記しています。
■私は、これほど自分の子どもを可愛がる人々を見たことがない。日本人は子どもがいないと、いつもつまらなそうである。
■この国では子どもをむち打つことはない。子どもに対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩くといったことはほとんどなかった。
■日本人は子どもを徹底的に甘やかせて育てる。
■西洋人は子どもに対してしつけが厳しく、体罰を与えたり、食事を大人と別に与えるなど厳格である。
■僕のみたところ、日本の子どもは二十一、二歳になるまで、世界で最も幸福な子どもに違いない。

さらに日本は、玩具と遊戯が溢れる「遊びの王国」だとも諸外国から言われていたようです。明治初期にアメリカからやって来たグリフィスが『明治日本体験記』に記しています。
■日本ほど子どもの喜ぶ物を売るおもちゃ屋や縁日の多い国はない。
■日本のどの町にも、子どもを楽しませて暮らしを立てている男女が何十人もいる。
そして江戸時代後期にフォーチューンもまた、『幕末日本探訪記』に書いています。
■玩具店にはあらゆる種類のおもちゃが豊富に陳列されていた。この大玩具店の存在は、日本人がいかに子ども好きかを証明している。

 

 

 

 

 

溺愛しても怠らない子どもへの教育

江戸時代の子どもたちは、現代に比べると、勉強する機会は少なかったと思います。義務教育のような制度はなかったし、貧しい家に生まれた子どもは幼い頃から奉公に出て働くなど、誰もが平等に教育を受ける環境になかったと思われます。けれども、学問は子どもが生きていくための必需品と考えられ、とくに江戸時代の子どもの学力は非常に高かったようです。

バードは『日本奥地紀行』の中で次のように語っています。
■ユキの息子は十三歳の少年で、しばしば私の部屋に来て、漢字を書く腕前を見せる。彼は大変頭のよい子で、筆で書く能力は相当なものである。
また、ヴァリニャーノも『日本巡察記』に記しています。
■子ども達は我らの学問や規律をすべてよく学び取り、ヨーロッパの子ども達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我らの言葉で読み書きすることを覚える。
鎖国下の日本に密輸入し、日本人の英語教師となったアメリカのラナルド・マクドナルド氏は、当時の様子を『日本回想記一』でこのように語ります。
■日本人のすべての人ー最上層から最下層まであらゆる階級の男、女、子どもーは、紙と筆と墨を携帯しているか、肌身離さず持っている。すべての人が読み書きの教育を受けている。

 

 

 

 

 

日本の母と子の姿

戦前、戦後で大人と子どもの関わり方はずいぶん変わってしまったようです。来日した外国人の多くの印象に残っているのが、母と子の姿なのだそうです。
■なぜこの国は母親はこれほどまで子どもに甘く、子どもも母親にベッタリなのか。
■母親はいつ何時も子どもを叱ることなく「はいはい、〇〇さんわかりましたよ。」と優しく対応する。
■街を見ると、母親は幼子を背負い、一方の手でもう一人の子どもと手をつなぎ、そしてやや大きめの子どもが母親の着物の袂を掴んでいる。そんな光景がいたるところにある。

日本人の家族の絆。それは外国から理解されないほど強く、深く、愛が大きかったのだと思います。現代の介護事情を見ると、日本ほど家族が責任を背負って介護しているような国はなく、私たちの根底にある愛がそうさせてしまっているようにも思えます。ですが愛は、その扱い方を間違えると、依存や自己犠牲を生んでしまうのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

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