介護する人の魂
昨今、介護事業や介護産業を含め、介護に関わらない人はいないと感じます。介護士や看護師も、自宅で介護をしている人が珍しくありません。今は関わっていなくとも、いつかうちの親も介護に…と安じる人が多いのではないでしょうか。
ですが介護で本当に苦しんでいるのは、介護する人かもしれません。
今日は「介護する人の魂」についてお伝えします。
2.介護する人の魂
前回「介護を受けている人の魂」についてお伝えしました。
では、介護者はどのように関わればいいでしょうか。
根底に恐怖があるため、介護の目的は安心させてあげることです。何かをしようとしなくていいんですね。たとえば手を握って黙って横に座っているとか、同じ高さの目線になってあげるとか。殆どの人が忘れているけれども、介護を受けている人が本当に求めているのは、そういうことではないかと思います。
それは介護士や看護師も目指すべきところですが、限界があります。
なぜなら、ご家族には敵わないことがあるからです。
戦争中、日本軍はみな「お国のために」という言葉のもと、他国と戦いました。特攻隊の動画で数々の手記を見て感じるのは、誰ひとりとして悲しみながら飛び立つ人はいないということ。特攻隊は全員志願者だったそうです。なぜ志願するのでしょう?
戦時中、次に飛ぶメンバーの発表は、自分の名前があってもなくても複雑な心境だったそうです。そして特攻隊志願で行ったにも関わらず、選出されずに終戦を迎えて帰国したときは、何とも言えない気持ちだったそうです。
通常、飛行機は鉄でつくられていますが、日本の特攻隊の飛行機は木製だったそうです。鉄の飛行機は銃撃を受けると爆発して落下してしまいますが、木製の飛行機は弾が貫通するため、落下目的地まで辿り着く可能性が高いからだそうです。
日本はなぜそこまで徹底して出来るのでしょう?
(写真は週刊朝日AERAさんより)
日本兵が「お国のために」と言うとき、その言葉の奥には母も父も、兄弟も奥さんも子供も友達も、敷いては億人の国民の命が含まれているのです。「お国のために」という言葉を「天皇のために」と勘違いしている人がいますが、そうではありません。すべての日本人の魂を背負って戦っていたから、諸外国が震え上がるほど強かったのです。それは大きな大きな「愛」なのです。
日本は「一つになる」「一体感」という感覚を持つ、諸外国に類を見ない国です。まことに稀有(けう)な国です。きっと、介護をしているあなたの深いところにも、その感覚が修められているのではないでしょうか。日本ほどの先進国で、これほど家族が介護を強いられている国はありませんが、日本人は親を放っておけないんですね。
介護しようと心に決めたとき、そこには愛があったのではないでしょうか?放っておくこともできたはず。知らん顔することもできたはず。無責任になることもできたはず。だけどそれでは自分自身が苦しいから、介護しようと自分が決めたのですね?
しかしながら先の見えない厳しい状況に、愛が裏目に出て葛藤や依存を生んでしまっているのです。だから介護はできる範囲でいい。何かあったとしても、それは子供のせいではないんです。子供は親の命を守るためにこの世に生まれたわけではないのだから。
それよりも自分の人生の責任を持つこと。戦後に生きた方々の二の舞にならぬよう、自分を優先すること。自分が大切にしたいものを大切にすること。ちゃんと自分の幸せに向かって生きること。
本来、親は子供の幸せを願っているものです。死に対する恐怖から盲目になっているだけで、根の根では子供に介護を望んではいないはずです。どうか、苦しい時代にあなたを懸命に育てた親の愛を信じて、まことに従ってください。それが親のためなのですよ。
日本は世界で唯一無二の「愛」の国です。ただ、愛の人はそれが当たり前すぎて、愛であることに気づけないのです。そして私たちの日常のほとんどは、愛でないものに汚染され、より見えなくなっています。ひとりひとり自分自身を思い出すことによって、介護は穏やかになっていくかもしれません。
魂は「命」という時間の枠を越えて、過去にも未来にも継がれます。戦後はさまざまな作用により、その生き方しかできなかったかもしれない。だけど子供がまことの道を行くことによって、錆びてくすんでしまった親の魂が輝き始めるのです。そして安心して人生の環を閉じ、幕を下ろすことができるのです。
お付き合いくださりありがとうございます。
次は「介護職の魂」です。