35年間後悔し続けた延命治療|”相手の身になって考える”は難しいー1
この記事には死にまつわる内容があります。現在お辛い状況の方は、心が落ち着ているときにご覧ください。
1.初めてICUに入ったとき
18歳のとき。高校生でした。私は父親に連れられて病院に行きました。数ヶ月前に父の兄(私にとって叔父)が脳溢血で倒れ、救急車で運ばれたことを聞いていたのでお見舞いに行くんだと思いました。
100床ほどの病院。夜だったので外来はがらーんとして暗く、病院特有の消毒液の匂いと、ちょっとカビ臭い匂いがしたのを覚えています。外来の待合に父の姉(私にとって叔母)がいました。叔母は腰が曲っているため私が見下ろすほど小さな体で、さらに年を取ったように見えました。病室の入り口で父が3人の名前を記入し、小声で看護師さんと何か話していました。
病室はガラス張りでした。部屋の前の小部屋に入ると、白い割烹着のようなものを着せられ、マスクを付けさせられました。そして父が私にこう言いました。「あんまり長い時間はおられへんで。ちょっとびっくりするかもしれんけどな」
壁もカーテンもベッドもみんなクリーム色で、ぼんやりした印象。ベッドがいくつか並んでいるけど、みんな寝ているのか顔は見えませんでした。あまりにも静まり返っていて、経験したことのない雰囲気でした。
どことなく重い空気を感じながら、スリッパを履き替えて中にー。父の後ろをそろそろと歩き、あるベッドのそばで足が止まりました。そこに横たわっている人を見て私は呆然としました。

2.言葉を失った光景
(え?だれ、これ…?)
中年の痩せ細った男性が上を向いて横になっていました。腕は2つに曲がった状態で、足も膝が曲った状態で固まっていて、全身がキュッとなっていました。頬や体は痩せこけていて、小人の様に小さく縮こまっていました。
「こうちゃんやで。こんな姿になってもうたんや…」と涙ぐむ父の声。こうちゃんは叔父の名前です。叔母は弟の頭をそっと撫でながら「かわいそうに…」とつぶやきました。そして「私が救急車を呼んでしまったばっかりに、こんなことになってしもてなぁ。ごめんやで。」と。
喉には青いチューブがつながっていて、プシュープシューと規則正しく動いていました。叔父の身体は半分ほどに小さくなっていて、目を開けることも声を出すこともなく、ただただ眠っているようでした。
(生きてるん…?!)
(死んでるん…?!)
(え、これ、ホントにおじちゃん…?!)
首のあたりから点滴のチューブが出ていて、手にも腕にも足元にも何かチューブがつながっていて、喉から出ている青い太いチューブは大きな機械につながっていました。
他の四角い機械からはピッピッピッという音が鳴り続けていました。薬の匂い?オムツの匂い?体臭?独特の匂いが鼻につきました。

3.別人になった叔父
バイトに明け暮れていた高校生の私は、あまり親戚付き合いをしていませんでしたが、それでもお正月とお盆は父に連れられて叔父や叔母や祖母に会いに行っていました。叔父は休みの日はいつもお酒を飲んでいてご機嫌でした。血色のいい顔で、布袋さんのようにお腹がぽってりしていました。
私が行くと「ようこちゃーん、元気しとったか?」と、いつも満面の笑みでお酒のおつまみを勧めてくれるので、私は子供の頃からお酒のあてが結構好きでした。(あの、おじちゃん…?!)あまりにも変わり果てた姿に私は言葉を失ってしまいました。
いわゆる植物状態。スパゲティ症候群。今は差別用語だとして使わなくなりましたが、その頃はそう言っていました。確か叔父が運ばれたのを聞いてから3ヶ月ほど経っていたので、叔父はずっとこの状態で過ごしていたんだ…と思うと胸が締め付けられました。
父と叔母の会話から、良くなって元に戻れる状態ではないことを察しました。これから先のことは触れてはいけないような気がして、私は言葉を飲み込みました。

4.延命治療のその陰で
その頃から父は帰るのが遅い日が多くなりました。後から知ったのですが、植物状態になってしまったお兄ちゃんを放っておけず病院に通っていたようでした。さらに救急車を呼んでしまったことを後悔している姉を支えるために、姉の家にも通っていたようでした。
そしてこから先、病院では決して見えない延命治療の渦が巻き起こっていきます。延命治療は本人だけの問題ではなく、家族や身内を巻き込んでいきます。人はひとりで生きているのではなく、多くの人間関係の中で成立しているのです。
この記事には続きがあります。
35年間後悔し続けた延命治療|”相手の身になって考える”は難しいー2



