35年間後悔し続けた延命治療|”相手の身になって考える”は難しいー2
この記事には死にまつわる内容があります。現在お辛い状況の方は、心が落ち着ているときにご覧ください。
5.延命治療の陰で崩れ始めた家族の絆
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35年間後悔し続けた延命治療|”相手の身になって考える”は難しいー1

姉との会話では金銭的な話し合いもあったようです。その頃、自分で動けない重症患者には付き添い婦を付ける制度がありました。その付き添い婦さんに支払う金額が父の月給を越えるほどの金額でした。そしてもし叔父がこのまま2年以上生きたら… ローンで購入したマイホームを売らなければならないかもしれない…という状況になっていました。
その状況に黙っていられなくなったのが母でした。毎月のローンを支払うために母も働いていました。しかも身内のことばかり気にして帰宅が遅いことも不満だったようです。さらに叔父が入院して独居になってしまった祖母を誰が引き取るかという問題が浮上し、我が家で引き取ることになりましたが、嫁姑の関係が上手くいくはずがありませんでした。
結局、祖母と母は仲違いをして、叔母の家で祖母を引き取ることになりました。父は血のつながりのない姉の夫に世話をしてもらうことに、申し訳なさでいっぱいだっただろうと思います。そしてその頃から、夜中に父と母が夫婦喧嘩している声を度々聞くようになりました。怖かったです。その溝が広がっていったのかどうか私にはわかりませんが、数年後に両親は離婚に至りました。
1980年代の話です。叔父は同じ状態のまま3年生きました。その影で弟夫婦が危機に陥り、姉が死ぬまで後悔することになろうとは、夢にも思いませんでした…

6.死ぬまで背負った叔母の後悔
それから2年後、叔父は付き添い婦さんに見守っていただく中で亡くなりました。祖母は母との仲が悪化して、叔母が引き取ることになりました。我が家のマイホームは売らずに済みましたが、夫婦仲が元に戻ることはなく、結局離婚に至りました。
叔父のことが直接の原因ではないと思います。ですが夫婦の間に溝ができたことに間違いはないと思います。
叔母はそのことをずっと後悔していました。「私があの子を助けたばっかりに、植物状態で何年も生きることになってしもうて…」「私があの時、救急車を呼ばんかったら、こんなことにならんかったのになぁ…」「ようこちゃんの家も、こんなことにならんかったのに…、ごめんなぁ」
私は叔母に何度言ったかわかりません。「おばちゃんが救急車を呼んだのは当然のことやで」「助けへんかったら、おばちゃんが罪になるんやで」「おばちゃんのせいじゃないで」と。ですが叔父が亡くなって何十年経っても、私が会いに行くたび、叔母は同じ言葉を繰り返すのです。その後に父が亡くなってからも叔母は「私のせいであの子にも苦労させてしもうて…」と懺悔していました。
そして叔母もいよいよ施設に入り数年が経った頃… 「あの子もな、スッと楽に逝けてよかったな」と言い出しました。私は(ああ、認知症が始まったんだな)と思いました。ですが一方で、叔母がようやくラクになってくれる、ようやく自分を責めなくなる…と胸を撫で下ろすような感覚がしました。
叔父が救急車で運ばれてから35年。叔母が長い長い懺悔から解放された瞬間でした。(おばちゃん、もういいねんで。おばちゃん精一杯生きてきたんやから、もう何も考えんでいいよ)と心の中でつぶやきました。

7.呆然と立ち尽くす家族の姿
付き添い婦は昔の話だから今は関係ないよね、と思われるでしょうか。
残念ながらそうではありません。1990年頃から「完全看護」という言葉によって(実際には無い架空の言葉ですが)、入院しても付き添い婦や家族は付かなくていいという認識が広がりました。しかしながら診療報酬点数の制限により、入院期間は長くても3ヶ月という風潮になっていきました。
積極的な治療をしない(現状維持)ならば退院しなければなりません。そのため家族は、植物状態でも引き取ってくれる病院を自分たちで探し回らなければなりませんでした。会話もできない、自分で動くことも、食事を摂ることもできない、当然ながら昔のように一緒に出かけることも笑い合うことも…
そして最終的に多くのご家族は、自宅で引き取るしかない…という状況になっていきます。すると働くこともできず、延命のために必要な物品や医療費がかかり、必然的にお金も時間も失っていきます。また、自宅で看るということは介護者だけの問題ではなくなります。家族の時間や労力、しいては仕事、社会関係、時に人生まで奪っていくことも… 大人だけでなく子供や孫の人生までも。
「一日でも長く生きていてほしい…」
この美しい言葉が、時間が経つにつれ、大きな後悔になって家族を飲み込んでいくのです。
延命治療は、今も病院では当たり前のようにある光景です。あなたの町の小さな病院で、今もご家族の意志によって延命が選択されています。そして誰も望んでいなかった未来がいつのまにか出来上がっていく。延命を選んで3ヶ月、6ヶ月経った頃、滾々と眠り続ける患者さんのそばで呆然と立ち尽くす家族の姿を、私たち看護師は見ています。

8.人は未来が無い状態を想像できない
「一日でも長く生きていてほしい」
今も周囲からそうした言葉を聞きます。数日前、同僚の看護師も、親の最期を考えたとき全く同じ言葉を言っていました。そしてこうも言っていました。「もし自分がその立場だったら延命治療してほしくない、だけど、、」と言葉を詰まらせてしまうのです。呆然と立ち尽くしている家族を見て来た看護師でさえも。
それほど私たちは『死に直面している状況』を想像できないのでしょう。なぜなら経験がないから。そして人の心は弱いのです。だから目の前にいる人が居なくなることを想像できない、想像したくない。ただ、叔父は私たち家族に身をもって教えてくれたような気がします。
その頃の私は看護師なることなど夢にも思っていませんでした。ですが23歳になって導かれるように看護師の道を歩みました。そして叔父が亡くなって十数年後、この経験を思い起こさざるを得ない状況が私たち家族に訪れました。父が亡くなったときの話をまた書きたいと思います。命と向き合おうとしている方の一助になれば幸いです。


