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健康はひとりひとりが自律する道

健康ってよくわからないですね。ただ、健康を失ったとき、それまで自分が健康だったことに気づきます。そして健康の有難味に初めて感謝することでしょう。健康とはそういうもの。普段、意識することもありませんが、幸せの基盤であり、人生の基盤であり、在って然るべきものなんですね。

しかしながら昨今の日本の医療情勢から、私たちは健康なときから健康を意識して守らねばならない状況が訪れているのではないでしょうか。それは様々な社会情勢に比例しており、各個人が「自律」を強いられているともいえる状況です。

この記事を機会に、健康について考えていただけたら幸いです。

健康はひとりひとり違う

健康に答えはない、と言ってしまうと迷われるかもしれませんが、健康とは誰かにこうすればいい、ああすればいいと指図されるようなものではなく、自分自身の中にあるものです。西洋哲学のように、辿り着くべき答えがあり、そこに向かうプロセスではないんですね。

たとえば、これを食べれば健康でいられる、こうすれば健康になれるという商品や知識は数多くありますが、ずっとそれを続けたからと言って、健康であるとは限らないですね。生きていく過程でまったく健康を損なわないことはあり得ず、40代には40代の健康が、50代には50代の健康があるだけです。もっと細かく見れば、生きてきた過程がまったく同じの人はいないのだから、ひとりひとりに最適な健康の状態があります。

また、生まれながらに病気がある先天性疾患の人や、幼い頃からの障害や後遺症がある人は、それもまた、その人なりの健康の状態があります。本来、病気、障害、後遺症はその人の個性であり、自己表現であり、課題といえるべきもの。他者と自分を比べて辛くなり、自分を責めれば病となり、その要素を自分の一部だと受け入れて活かす方向に進めば、おそらく誰よりも健康になれるのです。少数かもしれませんが、あなたの周りにも、病気があるとは思えない…という人がいるのではないでしょうか。

健康とは道のり

結果主義、成果主義の西洋的考え方とは、逆の発想です。健康は、未来でどういう状態が得られるかわからないけど、今この瞬間にベストを尽くす、という「在り方」に関わってきます。さまざまな情報の中から、私はこうするという一点を選び、やり続けること。自分自身の感覚を信じ、自分自身に従って行動し続ける、自分なりの生活習慣をつくっていくことが健康への第一歩です。

物には良悪があるでしょう。また情報には正誤があるでしょう。良いもの、正しいものをと思ますが、それは経過とともに変わります。そのときは真実であっても、研究が進んだりして情報は進化していくものなので、ひっくり返ることはよくあることです。大切なのは物や情報の信憑性よりも、自分自身の感覚です。

コンテンツ(商品や情報など)の価値は1割に過ぎません。人間はというか、体はとくにプラシーボ(自分自身の思い込み)による効果が5割くらいあります。つまり自分自身が良いと思っていればその効果を発揮するところが大きいでしょうし、どんなにコンテンツが優れていても、自分自身が違和感を感じていれば効果は期待できないでしょうね。

そうして自分自身を淘汰していくこと。この経過が健康の道です。自分自身を信じるところから健康は始まるのです。

現代の日本の問題点

戦後の貧しい時代から日本が立ち直るために、西洋哲学的な物質主義、成果主義、結果主義は、日本に大きな力を授けてくれました。ですが物が溢れ、物質が極みに達した現代においては、争いによって疲弊の一途にいます。なぜ日本にこれほど病が増えているのか?それは現代の文化が日本人に合っていないことが挙げられます。では日本と日本以外の国(代表して欧米と称します)のいちばんの違いは何でしょう?

昔からどの国においても宗教は政治に関わるほどの力を持ち、その国の文化に大きな影響を与えてきました。宗教は個人によっては生きる糧であり、神を信じる力、また汚されたときの怒りは何よりも強いものがあります。日本以外の国の根本的文化は一神教であり、神を崇拝するため自分以外が神であり、個人間においては優劣が生じます。争いが根本原理です。一方、日本は多神教文の文化。よって、あらゆるもの、あらゆる自然、あらゆる人は神であり、尊い存在で、みなが一つであろうとする考え方なのです。

よって日本人は、本来の自分自身に還ることができれば、おそらく、親切でありたい、いい人でありたい、優しくしたい、無理しないで生きたい、自然体でいたい、在りのままの自分でいたい…、と思っているのではないでしょうか。

日本文化の特徴

西洋で「アミニズム」という言葉ができたのは1990年代のこと。アミニズムとは自然の中のあらゆる存在に精霊が宿っているという考え方です。ですが日本は2680年前の建国のときには神社や神道があり、八百萬の神々の存在は当然の認識でした。外国は言葉にして証明することが得意なので形になって広まっていきますが、日本には「言挙げせず」という文化もあり、言葉で表現しないことの価値や、理屈で証明しないことの価値があり、表現されて来ませんでした。

言葉は「あるもの」と「そうでないもの」を分け隔てる二項対立を生じさせ、優劣が生じます。また論理表現は相手を説得するために用いる手法で、勝ち負けが生じます。現代の日本においては欧米文化がより強く認識されています。よって日本人は疲弊していくのです。自分の中の神を失った日本は、どうなるのでしょうね。ひとりひとりが自分を信じる力を取り戻すこと、それは社会を変えることであり、健康の道でもあります。

 

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